無神論者は軽忽な夢を見る



とん、とん、と牌が卓を叩く音が朧気に聞こえてくる。その音はもう一度鳴ったところで止んだ。頭が働かない。起き抜けにSF長編映画を見させられている時のように、目の前で何がかが起きているのかは分かっているのに体が動かない。

「あなたの番ですよ、どうぞ」

男の声でやっと目が覚めた。突き刺さるような蛍光灯の光に薄目になりながら彼の方を見る。端整な顔立ちに艶のある漆黒の髪、彼は服までも黒ずくめでまるで葬式のようだった。そこまで考えたところで漸く思い出される。そうだ、彼は私と勝負の約束をしていた男だ。人の鬼と書いて傀。都心の雀荘でその名を馳せる彼は、やはりいつ見ても凡人からは逸脱した雰囲気を醸し出している。

「……ここまでしなくても、言えばいつでもやってあげるのに」
「細かいことは気にしないでください。それより、勝負の続きを」

どこかのビルだということは分かる。無機質な部屋にぽつんと雀卓が置かれていて、それを私と傀、そして先程から一言も発さない無表情の二人の男で囲んでいた。
言われるがままに牌を切る。私では遠く及ばない、謎めいた彼の力。こんな得体もしれない場所でイカサマでも仕掛けられているんじゃないかと一瞬は考えたが、三巡もすればそんな思考は消え去っていた。

「あっ、ツモ」

ぼうっとしているとリーチする間もなくそれはやってきた。タンヤオだけのなんの捻りもないアガり。こんなままではダメだ。せっかく勝負をするのだから、真面目にやらなければ。

「せっかくの勝負なんだから、見せなさいよ。あなたの覚悟、あなたの幸運、あなたの狂気……」

その言葉に対面の傀も口角を上げたように見えた。だがその瞳は字のごとく鬼である。獲物を捉えて逃がさんとばかりの表情。だが下克上は私の得意分野だ。


東三局までは私がリード。その後は傀のアガりが続いて、ついに南四局のオーラス。
局が進むにつれ、目が覚めた時から感じていた嫌な予感がさらに増していた。この空間の息苦しさ、違和感のようなものに押しつぶされそうになるのだ。よくよく考えれば打ち始めてから一言も発さない無表情の二人も不気味だし、窓の外が星や街の灯りも見えないほど真っ暗なのも不可解だ。何より傀がやけに生き生きとしているのが一番恐ろしい。

「何か企んでるの?」
「……」

黙りとしているが表情が愉快なのを隠せていない。傀はまだ長いままの煙草を灰皿に押し付けた。まだ半荘一回も終わっていないのに、一体何本をそうやって無駄にしたのだろう。どうやら彼は煙草を一口しか吸わないというクセがあるらしい。贅沢な男だ。

「ロン」
「……っ」

またやられた。三千九百点。直撃では無いにしろまた点差が近づいてしまった。なんと三百点差である。傀は次アガれば逆転できる。

「ふふ……やっと面白くなってきたわね」
「…………」

だが、これでこそ勝負である。世の中に足りないのはこの狂気だ。生ぬるい勝負の場で疲弊した私の心を溶かしてくれるのは、この男との勝負の焔だけなのだろう。






とん、とん、と牌が卓を叩く音が朧気に聞こえてくる。……あれ、なんだかデジャブ。

「傀は!?!?」
「おわあっ!?なんだ、名前ちゃんか」

先程の勝負のことを思い出して目が覚めた。隣に座って雑誌を読んでいた裕太が飛び上がるのも気にせず店内を見渡して傀を探した。
傀は三人のサラリーマンと打っていた。流石に勝負を邪魔することは出来ないとため息をついてソファに座り直した。あの勝負は、一体何だったのだろうか。

「どうしたの名前ちゃん、随分魘されてたけど……」
「はあ?魘されてたのに気づいたんなら起こしなさいよ、気が利かないわねっ」
「はは、手厳しいなあ」
「…………待って、私魘されてたの?」

あの勝負は確かに不気味だったけれど、そんな怖がるような出来事は無かったはずだ。不思議なことに勝負が進むにつれて記憶が曖昧になっているので、そこで何か起きたのだろうか。

「傀、傀、って言ってたから、てっきり麻雀で負けた夢でも見てるのかと」
「……あの人の悪趣味なイタズラよ」

夢なのかどうかもよく分からないが、魘されていたというのならきっと私は負けたのだろう。それを理解した瞬間全身から力が抜けるような気分になった。すると突然、頭に何かが乗せられる。

「きゃっ!」
「どうも。久しぶりに楽しめました」

傀の大きくて体温の低い冷たい手が私の頭の上に乗っていた。楽しめた?その言葉の真意を聞き出そうと立ち上がったが、彼はそんな私を気にせず颯爽と店から出ていってしまった。



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